「丁寧」と「適当」のバランスの取り方は、意外と難しい・・。
大事なのは、ずっと同じでなくてよい、ということなのかも。
自分の中で長いあいだ気になっていた、「丁寧と適当」のバランスについて。
いろいろな試行錯誤をしてみた、最近の結論としては、下記が心地よいと感じています。
■ 無理をしない、ストレスにならないバランスでよい。
■ ずっと同じ考え方やスタイルを、続けなくてもよい。
このように思う理由は。
□ 「丁寧」に固執しすぎて、かえって暮らしや気持ちが窮屈になることもあるから。
□ 自身の考え方も行動も、その時々で変化しいていくことを受け入れると、心身ともに楽になれるから。
「丁寧」もよいけれど、「適当」も心身を健やかにする。
かつて日常を楽しくさせてくれた「丁寧」というキーワードから、今は適度にほどよい「適当」生活に、自身の心地よさが移動してきました。
最近はあらためて、「適当」の素敵さを見直しているところです。
丁寧と適当。つらくならないバランスが大事。
丁寧と適当のバランスについて気になりだしたのは、「丁寧」な暮らし方に、少し重苦しさを感じるようになったからです。
今後は、また変化していくとしても。現時点では、生活が乱れない程度の「適当さ」が、とても大事で心地よいなと。
丁寧な暮らしや生き方は、素敵でよいものです。
ただ、ずっと丁寧を続けようとして、いつの間にかそれに疲れや負担を感じるようになっていた、という私のような人々も少なからずいるかもしれません。
自身に合ったバランスを見つけるためにも、体力や精神状態など、現状把握が必要。
紙などに書き出したりしつつ、現状やどの程度のバランスが生活しやすいかなど、自分なりに深掘りしてみると、解決の糸口につながったりします。
ちなみに個人的な例でいうと、丁寧から適当へシフトするあいだに、さまざまな感情の変遷があり。その経緯は下記のとおりです。
丁寧な日常に熱中する。
「丁寧」な暮らしには、こんなふうにはまっていきました。
□ 基本的には、物事や生活スタイルなどについて、特別大きなこだわりや固執はそれほどないほうだと思っていた。
□ それが十数年ほど前のある時期から、丁寧な生活や暮らし方というものに、とても関心や憧れを持つようになる。(雑誌やメディアなどの影響)
□ さまざまな分野の著名な方々の、衣食住あらゆる面においてスタイルがある生き方に、心惹かれる。
(ひとつひとつのこだわりや思い入れ、哲学がある暮らしぶりなど)
□ できる範囲で、物、習慣、考え方など、少しずつ自身の生活に取り入れるようになっていく。
・持ち物(雑貨、生活用具など)
・衣食住に関する考え方
・日々の習慣や不便さを楽しむ暮らし方
・・等々。
その当時、自分に足りないのは、こうした丁寧な暮らし方や心のゆとりなのかもしれないと思い。可能な範囲で真似してみたり、行動にも取り入れてみたり。
こんなふうに、いつのまにか丁寧な暮らし方に熱中していきました。
掃除、洗濯、料理、DIY、新しい食器や家電をそろえる、といった日常の中の作業や、習慣を変えていくこと。
些細な変化のどれもが、とにかく楽しくて、今思えばちょっと不思議な感覚です。
丁寧な暮らしに重さを感じる。
丁寧を意識した生活は、それなりに長年続いていました。けれど、いつの頃からか少しずつ違和感に変化。
□ もともとは大雑把なところも多い私が、丁寧な日常を意識できるようになったことは喜ばしい。
□ その一方で、いつの間にかそうしたことに、もやもやした気持ちや疲れを感じるように。
□ 毎日を気分よく過ごすための「丁寧」が、もしかして重荷になっている・・と気づく。
(同時に、ショックというかさみしいというか。妙な罪悪感まで感じはじめる)
こんなふうに、じわじわと心の中で何かが変化。
何を間違えたのだろうとその原因を考えてみて、いつの頃からか、「丁寧さ」が「融通の利かなさ」にすり替わっていたのでは、と思い至りました。
(例えば。食材に気を使ってきたのに冷凍食品を買ってしまったとか、普段使っていたエコ洗剤が売り切れで仕方なく他の商品にしたとか、今週はいまいち掃除ができなかったとか。。本当に些細なことばかり)
こんなことが日々積み重なり。
今思えば、本来の丁寧とは関係ないところで融通が利かなくなり、おかしなストレスを溜めることにつながってしまったようです。本末転倒・・。
適当の快適さを見直す。
丁寧な生活をやや勘違いして脱線してしまったことで、少しずつ日常に対する考え方も見直すようになりました。
(身のまわりの物を片づけだしたり、同時に、気持ちを整えることにも目を向けはじめたり)
もちろん、すぐにはうまくいかず。。
ただ、周囲の人々を見て、ほどよい「適当さ」で、気持ちよく大らかに楽しく生活している人は、たくさんいるのだとあらためて気づくように。
いつのまにか、丁寧が視野の狭さに変わってしまっていたようで、丁寧と適当のバランスを見失っていたのかなと思います。
そのあたりから、あえて「適当」(よい意味で)を意識するようになり。
何年もかけて自分で作ってしまった日常の妙な窮屈さから、徐々に抜けていく感覚を持てるようになっていきました。
・ 適度に手を抜くこと。
・ できないことに固執しないこと。
・ そういう自分に罪悪感を持たないこと。
こうしたことが徐々にできるようになりはじめてから、以前より気持ちが楽になったと感じます。

今回は、「丁寧」に妙な執着を持ってしまった時期を振り返りつつ、 丁寧と適当のバランスについて考えてみました。
なにごとも一概に言えるものではないので、それぞれの考え方で。
いろいろ試しつつ、ひたすら自身にとっての心地よいバランスを見つける 、これに尽きるのかなと思います。
・丁寧も適当も、そのほどよい加減は本人だけにわかること。
・丁寧と適当のバランスは、人、年代、時期などによっても、常に変化するもの。
・ずっと同じである必要はなく。そのときどきで、無理なく心地よくいられるバランスを探し当てていくことが大事。
・人によって、丁寧と適当にも、それぞれにバランスがあることを覚えておく。(互いの基準を押し付け合わない)
ざっくりとこんなことを意識してみるだけでも、世の中のあらゆる「丁寧」や「適当」と、ほどよい距離感を保てるのかもしれませんね。
「丁寧」に熱中していたかつてにも、楽しさがあったのと同様に。「適当」もまた、心身の健康によいものだと感じています。