丁寧と適当のせめぎ合い。

自分の中で長い間気になっていた、「丁寧と適当」のバランスについて書きます。

かつて日常を楽しくさせてくれた「丁寧」というキーワードから、今は適度に程よい「適当」生活に、自身の心地よさが移動し。最近改めて、適当の素敵さを見直しているところです。

「丁寧」もよいけれど、「適当」も心身を健やかにする。

丁寧な暮らしや生き方は、素敵でよいものだけれど。ずっと丁寧を続けようとして、いつの間にかそれに疲れを感じてしまったという私のような人々も少なからずいるかもしれません。

 

丁寧から適当へシフトする間に、様々な感情がありました。その経緯はこんなかんじです。

丁寧な日常に熱中する。

もう10年以上前のこと。雑誌やメディアの影響も大きいと思いますが、丁寧な生活や暮らし方というものにとても憧れた時期があります。

良くも悪くも物事や生活スタイル等について、大きなこだわりや固執はそれほどないほうだと思っていました。

そんな中で、本や雑誌等で見かける様々な分野の著名な方々の、衣食住あらゆる面においてスタイルがある生き方(ひとつひとつこだわりや思い入れ、哲学がある暮らしぶり)は、とても心惹かれるものがあり。

 

できる範囲で、物、習慣、考え方など、少しずつ自身の生活に取り入れていきました。

・持ち物(雑貨、生活用具など)
・衣食住に関する考え方
・日々の習慣や不便さを楽しむ暮らし方

・・等々。

その当時、自分に足りないのは、こうした丁寧な暮らし方や心のゆとりなのかもしれないと思い、可能なことは真似してみたり行動にも取り入れてみたり。

何年かそうしたことに熱中することで、生活の中の些細なことに楽しさを感じるのがうれしかったです。

(掃除、洗濯、料理、DIY、新しい食器や家電をそろえる、といった日常の中の作業がいちいち楽しいという。今思えばちょっと不思議な感覚)

丁寧な暮らしに重さを感じる。

大雑把なところも多い私が、丁寧な日常を意識できるようになったことは喜ばしいことでした。

けれど何年か経ち、いつの間にかそうしたことにもやもやした気持ちや疲れを感じるように。

毎日を気分よく過ごすための「丁寧」が、もしかして重荷になっている・・と気づいたときは、ショックというかさみしいというか。自身のダメさ加減に向き合い、よくわからない罪悪感まで感じる始末。

 

何を間違えたのだろうとその原因を考えてみて、いつの頃からか、丁寧さが融通の利かなさにすり替わっていたのでは、と。

(例えば。食材に気を使ってきたのに冷凍食品を買ってしまったとか、普段使っていたエコ洗剤が売り切れで仕方なく他の商品にしたとか、今週はいまいち掃除ができなかったとか。些細なことばかり)

こんなことが日々積み重なり。今思えば、本来の丁寧とは関係ないところで融通が利かなくなり、おかしなストレスを溜めることにつながってしまったようです。

こういうのを本末転倒と言うのでしょう・・。

適当の快適さを見直す。

丁寧な生活を若干勘違いして脱線してしまったことで、少しずつ日常に対する考え方も見直すことに。
(身のまわりの物を片づけだしたり、同時に気持ちを整えることにも目を向けるようになっていた頃)

もちろんすぐにはうまくいきませんでしたが。
周囲の様子を見て、程よい「適当さ」で、気持ちよく大らかに楽しく生活している人々はたくさんいることに改めて気づくように。

 

いつの間にか、丁寧が視野の狭さに変わってしまっていたようで、丁寧と適当のバランスを見失っていたのだと思います。

 

そのあたりから、あえて「適当」(よい意味で)を意識するようになり。何年もかけて自分で作ってしまった日常の妙な窮屈さから、徐々に抜けていく感覚を持てるように。

・適度に手を抜くこと。
・できないことに固執しないこと。
・そういう自分に罪悪感を持たないこと。

そんなことが「適当」にできるようになりはじめてから、以前より気持ちが楽になったと感じます。

 

・・・

丁寧と適当。その振り幅の大小はあったとしても、多くの人が自分の中に丁寧な部分と適当な部分(よい意味とそうでない意味の丁寧/適当。それぞれにニュアンスも異なる)を持っていると思います。

(私自身は仕事やプライベートのいずれでも、「丁寧すぎる」「適当すぎる」と両方指摘された覚えがあるので。意識のある・なしにかかわらず、人間の中に同居する矛盾は、相当多くあるのだと気づかされます)

Sponsored Link

人それぞれどんな考えや基準を持って(あるいは特に持たずに)、生活の中で「丁寧と適当」のバランスを取っているのかと考えると、なかなか興味深いものが。

 

*******

・丁寧も適当も、そのほどよい加減を知り基準を決めるのも、本人だけにできること。

・日々の生活の中で、自身にとっての心地よいポイントや負担にならないバランスを、丁寧も適当も色々試しながら探し当てていくことが大事。

・そのバランスは生きている間中、常に変化していくものなので。丁寧になりすぎたり適当になりすぎることがあっても、自身を責めずにただ軌道修正すればよし。

・自分以外の人(家族、友人、周囲の人)の丁寧と適当にも、それぞれにバランスがあることを覚えておく。(お互いの基準を押し付け合わない)

 

ざっくりとこんなことを意識してみるだけでも、世の中のあらゆる「丁寧」や「適当」と、それなりによい距離感で生活できるのではと。そんなことを考えます。

丁寧に疲れたら、あえて適当にしてみる。適当に違和感を覚えたら、少し丁寧を心掛けてみる。気分がよいと感じる方法を見つけたら、それをしばらく続けてみる。こんなことの試行錯誤が、よい日常をつくっていくのかもしれませんね。

 

個人的には、日々「適当」の割合が増えることに身軽さや心地よさを感じる今日この頃。

(口には出さないけれど。近頃は何か行動する前に、「ちゃちゃっと、ささっと」済ませてしまおう、などと思っていることがよくあります。適当の快適さを、程よく表現してくれる言葉の響きがあるのかも)

 

「丁寧」に熱中していたかつてにも楽しさがあったのと同様に、「適当」もまた心身の健康によいものだと改めて感じています。

関連記事

クローゼットひとつ分、イメージとしての生活荷物量のこと。

気が済むまで片づけてみると、早く結論を知ることができる。

年末までの5週間で自分を変えられる? (変化の過程を楽しむ実践)

夏も長袖生活、を試してみた今年の夏。

趣味・習い事関連の修了証も、すっきり手放してみる。

「残さない」ことを基準にすると、暮らしも軽くなってくる。