「誰かの素敵」を、自分の暮らしに持ち込もうとして学んだこと。

今は身のまわりのものをだいぶシンプルにできたと思っていますが、かつてたくさんの物を増やしてしまった原因(失敗)のひとつについて書きます。

 

物が増えていった原因は、もちろんいくつもありますが、その中でも、自分で気づくのが遅かったと思うことがあります。

「誰かの素敵」と「自分の素敵」は異なる。

それは、「誰かの素敵」を自分の生活にも取り入れようとして、気づけば誰の暮らしなのかよくわからなくなっていた、という感覚でしょうか。

 

本や雑誌、ネットなど様々なメディアで見かける素敵な生き方(暮らし方)をしている人々を見て、多少なりとも影響されることは誰しもあると思います。特に気になった人・魅力的な人の考え方やライフスタイル、その持ち物を、真似たり取り入れてみることは、生活に彩を与えてくれるものでもあるので、それ自体はよいことだと思います。

 


大事なのはその取り入れ方というか。
あまり自分の中に一貫性がないまま、あれこれその時の気分で取り入れていくと、そのうちなんだかおかしなことになっていきます。

 

興味の対象が次々変わってしまい、そのたびに何かを買い、手放す(捨てる)ことはほぼしないとなれば、物は自然と増えていきます。

 

(例えば。イギリスの雑貨が気に入ってその関連の物が少し増える、アジアンテイストの雑貨もいいなと思い少し物が増える、和風も結構好きかもと思ったり、北欧雑貨も素敵だと思ってまた何か増える、、といったかんじ)

 

それは、自分の飽きっぽさや自分軸のなさがもたらしたことなのだと思います。

 

きちんと自分の考えやスタイルが確立されている人の物選びなら、どんなテイストでもうまく暮らしの中に融合させるセンスもあると思うので、その人も周囲にある物も暮らし方も素敵に見えます。

残念ながら私の場合はそうしたセンスもなく、その一部を借り物のように生活に取り入れようとしたから、なんだか見た目も気持ちの部分でも収拾がつかずごちゃごちゃしてしまったのだと。

 

「誰かの素敵」を自分の暮らしに取り入れると、確かに一時的には楽しい気持ちになるけれど、自分の中身や軸がともなっていないと、やはり無理があったり表面的なものになってしまうようです。

 

片づけを通して、たくさんの物を減らした今は、そんなことにも気づきました。

人生の中で、物の趣味もよいと思う考え方も、変化していくのは自然なことだけれど。
本当はそこまで欲しいと思っていない物をたくさん集めてきたことを、ずいぶん長い時間をかけて知りました。

 

・・・・・

「誰かの素敵」を垣間見たり眺めたりすることは、やはり今も楽しくて幸せな気分にさせてくれるものなので、それはそれで楽しみつつ。自分は自分の心地よさ(コンパクトな暮らし方)を正直な気持ちで見つけていければいいなと思います。

 

(色々ブレて、またうっかり物を増やしそうになったら、自分の本当に好きな物、望む暮らし方を、何度も紙に書いたり自問自答することに)

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好きな物・素敵な物をたくさん買って生活しているはずなのに、なんだかしっくりこない、という気分になったら。

もしかして、「誰かの素敵」と「自分の素敵」がごちゃ混ぜになっているのかもしれない、そんな視点で自分の住まいや生活の仕方を見直してみるのもよいかもしれませんね。
 

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