片づけられないと諦める前に。自分なりの片づけ再生物語を作ることを意識してみる。



今年こそ家中を片づけよう、この部屋だけでもすっきりさせよう、と思っていたのに。気づけば年の瀬を意識する季節になっている・・。

もう今年の片づけは諦めよう、また来年がんばろう・・。(でも、本当はもう少し何とかしたいな)

 

片づけのための気力もまとまった時間もないから、今は諦めよう、そのうちなんとかなるだろう。こんなふうに、心の中で力なくつぶやいている人も多い季節かもしれません。

具体的な片づけ方法を知ることも、もちろん大事だけれど。人の片づけを垣間見ることで、何か心が動いたり、自分の片づけを始めるきっかけになることもありそうです。




 

片づけの過程も、ひとつの人生再生物語だと意識してみる。

片づけノウハウの本や、片づけのドキュメンタリー番組も、参考になったり考えさせられたりする有効な面はたくさんあります。

一方で、とてもこんなにきちんと真似できそうにないとか、汚部屋や汚屋敷の片づけに潜む人生の暗い面ばかりに目が向き、かえって片づけをする気力が薄れてしまう場合もあるのでは。

 

例えば。それが「小説」という形になると、リアルさもありつつ、読んでいる自分自身が客観的な視点も持てるので、ノウハウ本とは別のアプローチで、それぞれの人が自身の人生や片づけについて考えるきっかけにもなりそうです。

 

こちらは片づけ方法の本ではなく、片づけにまつわる小説。大庭十萬里さんという片づけ指導を生業とする50代の女性が、依頼人やその家族の部屋や心までも片づけ・掃除していく。言わば、片づけを通した人生再生物語の一端を見せてくれるもの。

(4つのストーリー。十萬里さんはなかなかつかみどころのないキャラクターでありつつ、潔さと隠れた愛嬌も感じさせます)

 

フィクションなので、ちょっとうまくいき過ぎな部分もありそうですが、読んでいるとリアルに色々想像できて、息苦しさ、怒り、せつなさを感じる場面も。(似たようなケースやもっと大変な経験・問題を抱える人も、きっと世界中にいるのだと)

ただ、どの物語も、主人公とその家族たち(10代~70代)が少しずつ心を変化させ、それが行動にも表れてゆき。この人々の人生は、きっとこれから徐々に淀みから離れ、新しい風が入り込むように、少しずつ物事によい流れがつくられていくのかなと。そんな希望や明るさの予感と、ほっとするような余韻もあります。

なぜ片づけられなくなったのか、客観的に見る機会に。

現実の生活で、直接あるいは間接的に、身近な人からだらしなさを指摘されたり、片づけ・掃除をすることを強要されたら。頭ではわかっていても、誰しも反発心葛藤がでてくると思います。

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そういう状況を「フィクション・物語」として見てみると、主人公たちの部屋がなぜ荒れるのか、片づかないのか、俯瞰して見ることができます。

 

それと同じような視点を、現実の生活に少しでも取り入れることができれば。自分の気持ち、家族や周囲の人の思いも、少し引いて捉えることができたり。多少なりとも客観性を持って見る機会にもできそうです。

片づけは日常生活に必要だけれど、万能ではない。

物語の中には、年齢も立場も様々な人々が登場します。少しネタばれになりますが、最後に、子供をなくした親たちの物語があります。

 

そこで感じるのは、片づけられなくなった経緯(人に話せない辛い心の事情)を抱えているうえに、さらに周囲がそれを悪化させるような言動をとっている場合もあるということ。

(悪意のないという言葉、腫れものに触るような態度、辛い経験のたびに人は成長するなどとわかったようなことを言う人々・・など。とても現実味があります)

 

片づけは、身の回りをきれいにし、日常を過ごしやすくするための必要かつ大事な行いです。

よい面や効果がクローズアップされることが多いけれど、片づけもけして万能ではないのだと。そんな当たり前のこと意識する機会は意外と少ないかもしれません。

 

ひとことに片づけと言っても、様々なケースがあり。一気に解決するようなわかりやすい片づけもあれば、色々と乗り越えられないままで行う片づけや掃除も、世の中にたくさんあり、それでも十分だと。

そうした意識を持つだけでも、自分や周囲の片づけに対する精神的な幅(受容)に、広がりを持たせることは可能になるのかもと思います。

(完璧に片づける必要もなければ、早々に片づけを諦める必要もないということ)

片づけはスムーズにいかなくても気にしない。

物語は物語、現実は現実。この本を読むと、そんな気持ちもふと出てきそうですが。

小説の中の主人公だからといって、片づけられなくなった原因を簡単に突きとめられたり、単純にぽんぽんと解決もしていない。解決のための入り口に立つまでに、すでに何年もの歳月が流れていたりします。

 

なので、私たちが現実の生活の中でそれぞれが抱える片づけ問題を、短期間で何もかもうまくいかせようなどと、思わなくても大丈夫なのだと。

そんなことを再認識するだけでも、片づけのストレスはずいぶん軽減できるように思います。

 

(自身のことを振り返っても、一気に片づけ問題が解決できないことに、ひどく重い気持ちになっていた時期があり。そこまで思い詰めなくても、ちょっとずつ前進していればそれでも十分なのにと、今なら思えます。

片づけが楽しいときは進めて、苦痛に感じるときは休む。その繰り返しで)

自分なりの片づけ物語を作ってみる感覚で。

惰性的な行動がある一方で、人は自分の心が本当に動いたときしか、行動することができない側面も持っていると思います。

 

片づけノウハウの型通りでなくてもよいし、モデルルームのような完成された部屋でなくても何の問題もなく。

持ち物の量も、性格も環境も千差万別。誰もが、自分なりのすっきり空間を目指して、それぞれのペースで片づけ再生物語作っていけばそれでよいのだと。そんなふうに考えてみることも、小さな一歩になるのでは。

 

(引用:)

「もしも明日が人生最後のゴミの日だとしたら、どうします?」

 

思わず、「えっ?」と言いたくなるような、ちょっとおかしみも含むような印象的なセリフ。

 

「もし今日が人生最後の日だとしたら、、」というスティーブ・ジョブズ氏の名言について考えたことのある人は多いと思います。一方で、人生最後のゴミの日を想定して、このまま片づかなくていいのか、と思案することは稀なのでは。

人生最後のゴミ収集日・・。想像してみると、何か行動したくなるかもしれませんね。

**

片づけが頭の片隅にありつつも、若干ノウハウ本や作業に疲れたら。諦めるのではなく少し気をゆるめ、他の人の「片づけ物語」を眺めてみるというのも、ときには効力があったりするかも、、という内容でした。

(十萬里さんなら、自分の家、親の家の片づけにどんなアドバイスをし、どんな行動をするのだろう。もしも明日が人生最後のゴミ出しの日だとしたら、、と想像してみたり)

 

片づけたいと思わない限り、物が勝手に片づくことはないけれど。

少しでも気持ちが動くきっかけがあったり、引き出しひとつでも片づけてみようかなと思うことがあれば、もう遅いなどと考えずに。

まとまった時間が取りにくくても、年末が迫っていても、年齢が70代でも80代でも、今の心を軽く明るくする行動はいくらでもとることができるのかもと、そんなことを思います。

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