「よい選択」とは何か、難しい問いではあるけれど。「正解探し」に執着しすぎないことも大事かも。あらゆる選択のプロセスも結果も、人生の一部。
人が「よりよい選択」をしたいと考えるのは、ごく自然なこと。
けれど、「正しい選択」や「正解探し」に固執しすぎてしまうと、かえって人生が窮屈で、息苦しいものになってしまうこともあると思います。
「よい選択」をするには。正しい選択に執着しすぎないこと。
「よい選択」に関する考え方は、人それぞれ異なると思います。
個人的に現時点では、下記のようでありたいなと考えています。
1. 正しい選択、正解を探しすぎない。
2. 選択の時点で、きるだけ後悔が少ないと思える方向を選ぶ。
3. ときには、意識的に「よい選択をした」と考えてみる。
選択するたびに、学んでいけばOK。
それぞれの理由については、下記のとおりです。
1.⇒ 正しい選択だったかどうかは、主観の部分も大きいから。すべての選択を検証できるわけではない。
(例えば、転職先3つのうち1つを選択。もし、残り2つを選んでいたら人生はどうなったかを考えても、想像でしかない。元に戻って、選択をやり直すこともできない)
2.⇒ できるだけ、冷静に客観的に考えて、後悔が少ないと思えるものを選ぶ以外に、魔法のような方法もないと思うから。
(明らかに後悔しそうな選択というのは、よほどの事情がないかぎり避けるはず)
3.⇒ なんとなく選択に自信が持てないときに、「この選択でよかった」と意識的に考えてみると、安心感や満足感につながることもあるから。
(もし、失敗した後悔したと思う選択があれば、なぜそう感じるのか自分なりに分析。その学びを、次の選択に活かせばOK)

迷いも後悔も、人生のプロセスの一部。
片づけの最中は、常に「捨てる、残す」の選択が続きます。
例えば、今読んでいる途中のこちらの本。

「捨てる、処分、なくす」というメッセージが、至る所にあります。
物自体の総量を減らすことはもちろんですが、パソコン内の不要データや、携帯電話のアドレス帳、詰まるところ人間関係の整理に至るまで、さまざま。
片づけに興味を持ちはじめたところだったり、片づけをスタートしたばかりだったりすると、その潔さに、かえって意気消沈しそうな気配です。
(人によっては、片づけ・捨てたい欲が再燃するかも)
「捨てる、捨てない」に関しては、賛否両論あったり、何かを捨てて「後悔する、しない」も人によって違うので。
各自で見極め、選んでいくほかないのが、片づけというもの。
ただ、読んでいると、片づけというのは、「選択」の1000本ノックのようだと感じたりもします。
こういう作業(練習)をひたすら繰り返していくことは、気づかないうちに、人生における「選択力」を高めることにつながっているのだなと。
正解に執着しすぎず、失敗や後悔も、そのプロセスを大事に考えてみることも、【よりより選択】に役立つのだと思います。

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今回は、「よい選択」とは、についてでした。
日常生活のごく小さな選択から、人生の節目となるような大きな選択まで。生きていると、基本的には「選択」だらけです。
なので、迷いが多い時期があっても。
片づけを通して、それぞれが自分なりの「よい選択」の基準を、少しずつ作っていくことが大切かなと思います。
(ちなみに。人生における「もしも」は、確かめようがないけれど。
最近よく思うのは、もしも20代の頃に、積極的に捨てるという考え方を知って、影響を受けていたら、今の自分はどんなふうに生活していたのだろう、ということ。
無駄なく効率よく、寄り道も少なく、もっと合理的な人生を過ごせていたのかなと。想像してみるのは、ちょっと面白いです)