出来事に意味を見つける、見つけない。身軽に生きられる考え方を選択すること。

日々の物事に、必要以上に特別な意味を見い出さない方が、今の自分には生きやすいのかもしれない。

ある時ふとそんなことを思い、こうした考え方も身軽に生きる術のひとつになるような気がして、最近は少しずつそんな思考の練習をしています。

 

暮らしまわりの物を減らすだけでなく、考え方を身軽にしていきたい。今回は、そんな試行錯誤のひとつについての話です。

気持ちが軽くなる考え方を常に採用していくこと。

あらゆる出来事(物事・現象)に意味を見つけたり、何かの理由を考えて生活すること。その反対に、物事に大げさな意味を見い出すことはせず、淡々と日々を明るくこなすこと。

他にも様々な考え方があると思いますが、最近は特に、後者の考え方(意味付けなどはちょっと脇に置いて、ただ起きたことを受けとめていく)を選択してみようと。意識的に決めて毎日を過ごす、ということを試しています。

 

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身のまわりの目に見える物の片づけは、単純に捨てる、必要な人に使ってもらう、リサイクルに出すなど、手放すことで不要な物は減らすことができます。

ある意味とてもわかりやすくて明快です。

けれど、頭の中の考えが混乱したり気持ちの整理ができないことを感じていても、それらは無形なので、手に取って並べたり、仕分けしてゴミ箱へ入れるという、わかりやすい行動をとることができません。

見えない・形がない分、感情や思考というのはとてもやっかいです。

本など(引き寄せの法則関連、心理学、自己啓発本ほか)に影響されて、以前はどんな些細な出来事にでも意味を見つけるというか、無理にでも意味付けや理由探しをしようとしていました。

小さな出来事にも意味や理由を見つける。最初はこじつけのように意味付けを考えていたことでも、何年も経つと習慣というか思考のクセのようになって定着してきます。

これがうまく働いて、よいこともそうでないことも自身で引き寄せているというのも、感覚的に徐々に理解できるようになりました。

そうした考え方が、面白く楽しいと感じていた時期も確かにあったのに。それがいつの頃からか、些細な物事にも意味を見つけるという思考が、どうにも精神的に苦しくて重くて。このままだと残りの人生をどんな心の姿勢で過ごしていけばいいのか、全くわからないという心境になりました。

(人生をよくしようと思って始めた習慣や思考のクセが、重い鉛や足枷みたいに自身をひどく苦しめるように)

 

それなら真逆の考え方をしてみようと思うように。つまりは、必要以上に物事を大げさに捉えたり、意味付けをしようとしないことです。

ただ、長年妙な考え癖が出来上がっていると、それを変えていくのは意外と大変です。(つい余計な意味を考え、それが頭を占めてくるので)

そこで、今まであまり関心や縁の少なかった本でも読んで、もっとフラットになれるような、何か違う考え方を取り入れてみようと思い立ち。ふと気になったこちらを購入してみることに。

『もう悩まない! 心が軽くなるブッダの教え』

 

ひと通り読みましたが、きちんと理解したり腑に落ちるというところまでいくには、繰り返し本を読み直しながら実践する必要がありそうです。

ものの考え方について、表現の仕方が違うだけで、他の書籍(引き寄せや自己啓発など)でもこの本に書かれた内容と相通じるものは多く見られるので。意識的にも無意識のうちにも、やはり多くの人々が仏教やお釈迦様の影響を受けているのだと感じます。

わからないことに無理に意味付けをしない。今の自身が生きやすい考え方にシフトする。

本の中でいまひとつ理解できない内容もまだまだあります。全てを吸収することはできなくても、今の自分の心がゆるみ、前を向けるようになる考え方を見つけることはできそうです。

本書では、考えてもどうにもならないことや知り得ないことの意味ばかりを考えるのではなく、よりシンプルに生活レベルで必要な意味を考えるよう説いているものだと思います。

 

(抜粋)

・私たちが望むいちばん重要なことは「どうすれば幸福になるか」「どうすれば不幸にならずにすむか」ということです。

・何か不幸な境遇になったとき、「それは神様がお考えになってそうしたのだ」と、説く人がいます。そのような話は、まったく意味がないのです。本当かどうか検証できない神の意思などではなく、私たちがわかる「意味」をきちんと考えてほしいのです。

・「人生の意味」とは、結局そんなに深いことではないのです。生まれて、生きて、年をとって死んでいくだけです。

・私たちは「単に生きている」のです。目の前にあることをコツコツこなし続けることが生きることなのです。

・自分の成長は、世の中の評価とは関係ありません。普段怒らなくなったり、落ち込まなくなったり、嫉妬しなくなったら、自分が成長したと思っていいのです。それは本格的な成長なのです。それだけは自分のものなのです。

 

長いので割愛しますが。「業と因縁の本当の意味」というのも若干勘違いしていたし、「目標に向かって生きることがおかしい」など、思いがけない視点も興味深いです。

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(人によっては、こういう考え方が虚無感や反発心を生む場合もあるかも。その時は、また別の、各々の心が明るさを取り戻せる考え方を探して採用していけばよいのかなと思います)

 

様々なことに意味を見つけたり反省したりすることも時には大切ですが、度を超すと生きづらさに直結します。

どうやっても確認も検証もしようがない出来事や現象の意味を考えるのではなく。目の前にあるやるべきことを日々きちんと行う、自分ができることをやって生きていく、自身にも周囲の人にもプラスになることをする、先々の妄想や怒りなどの感情で心を失ったり汚したりしない。

一見難しそうだけれどとてもシンプルな行いを続けていくことで、自らが勝手に作り出した悩みや苦しさから解放されて、ごく自然に幸せを感じられるようになっていくものなのかもと、そんなことを考えさせられます。

 

今の私にとっては、考えても答えのないようなことの意味を考えすぎて、躍起になったり息苦しくなっていた部分を救ってくれるような。ごくシンプルな考え方に戻っていくような感覚で少しほっとするのかもしれません。

 

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人に聞いたり本を読めばなるほどと思うようなことでも、それを自身の思考に取り込めるかどうかは、やはり常に意識したり実践していくことでしか得られないものです。

なので、出来事の意味を深読みしすぎない、無理に意味を探さない。今は、そんな考え方を選択してみることで、気持ちが軽くなり、シンプルに目の前のことに集中したり楽しめたりできそうだと感じています。

 

人生の様々な場面で、つまづいたり息苦しさや辛さを感じることは、誰にでもきっとあることなので。

できることならそこで長く停滞せず、少しでも明るい方を向いて毎日を歩いていけるように。自身の心が軽くなる考え方はきっと何通りもあるはずだと、時々そんなことを思い出して。それぞれが身軽になれる思考を選択できればいいなと思います。

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